ウォルト・ディズニーの名言10選と激動の人生を日本一わかりやすく解説します

Walt Disney

ようこそタワテラ1928号室へ!

部屋の住人モヨでーす!

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モヨ

ウォルト・ディズニーについて知りたい人

「ウォルト・ディズニー名言が知りたい」

「ウォルト・ディズニーってどんな人?」

「ミッキーマウスはどうやって誕生したの?」

今回はこういった疑問や悩みをわかりやすく解説するよ。

この記事を読むとわかること

ウォルト・ディズニーの名言10選

ウォルト・ディズニーの激動の人生をわかりやすく解説

ミッキーマウス誕生の話

モヨはディズニーの魅力に魅了されたディズニーマニアになりたい偶像です。ディズニーのことをもっともっと知りたくて日々新しい情報を本や雑誌、インターネットなどから情報収集をしています。
そんなモヨがディズニー好きのみんなに情報を共有するのがタワテラ1928号室です。

今回は世界で大人気のキャラクターであるミッキーマウスの生みの親でディズニーリゾートの創設者であるウォルト・ディズニーの名言や激動の人生をわかりやすく紹介します。

この記事読むことで更にディズニーを知ることができて、よりパークや映画などのコンテンツを楽しむことが出来るようになります。

それではいってみましょう!

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ウォルト・ディズニーの名言を10こ紹介します

ウォルト・ディズニーは今を生きる僕たちに様々な名言を残してくれました。

それは生きる希望を与えてくれたり行動する勇気を与えてくれたりします。

ウォルトの名言は書籍などで知ることができますが、今回は数あるウォルトの名言の中から10こだけ紹介させていただきます。

ウォルトの名言はここに書ききれないくらいたくさんあります。

その他のウォルトの名言を知りたい場合はぜひウォルト・ディズニーに関する書籍などを手にとってみてくださいね。

それではおすすめのウォルトの名言を紹介いたします。

【名言1】すべては一匹のねずみから始まったということを。

All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them. I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.

Walt Disney

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現することができる。いつだって忘れないでほしい。すべては一匹のねずみから始まったということを。

【名言2】想像力は年を取らない。

Laughter is timeless. Imagination has no age. And dreams are forever.

Walt Disney

笑い声は時代を超え、想像力は年を取らない。そして、夢は永遠のものだ。

【名言3】夢見ることができれば、それは実現できる。

If you can dream it, you can do it.

Walt Disney
夢見ることができれば、それは実現できる。

【名言4】自分の無知を認めることが大切だ。

All you’ve got to do is own up to your ignorance honestly, and you’ll find people who are eager to fill your head with information.

Walt Disney
正直に自分の無知を認めることが大切だ。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れる。

【名言5】あなたが自分を好きになれば特別なものになれる。

The more you like yourself, the less you are like anyone else, which makes you unique.

Walt Disney
あなたが自分自身を好きになればなるほど、あなたは他の誰にも似ていなくなり、それがあなたを特別なものにする。

【名言6】不可能なことに挑むのは楽しい。

It’s kind of fun to do the impossible.

Walt Disney

不可能なことに取り組むのは、いくぶん楽しいものだ。

【名言7】何かを始めるなら行動を始めないといけない。

The way to get started is to quit talking and begin doing.

Walt Disney

何かを始めるためには、しゃべるのをやめて行動し始めなければならない。

【名言8】本には多くの宝が眠っている。

There is more treasure in books than in all the pirates’ loot on Treasure Island and best of all, you can enjoy these riches every day of your life.

Walt Disney

宝島の海賊たちが盗んだ財宝よりも本には多くの宝が眠っている。そして、何よりも、宝を毎日味わうことができるのだ。

【名言9】私は自分の想像力の限界に憤る。

I can never stand still. I must explore and experiment. I am never satisfied with my work. I resent the limitations of my own imagination.

Walt Disney

私はじっとしている事が出来ない。探索し、実験していないとダメなのだ。私は自分の仕事に満足したことがない。私は自分の想像力の限界に憤る。

【名言10】ディズニーランドが完成することはない。

Disneyland will never be completed. It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.

Walt Disney

ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。

ウォルト・ディズニーのプロフィールをわかりやすく解説

ウォルト・ディズニーのプロフィールをひと目で確認する

まずはウォルト・ディズニーのプロフィールを簡単に確認してみましょう。

  • 1901年12月5日生まれ
  • 1966年12月15日、65歳の誕生日から10日後に他界
  • アメリカのイリノイ州シカゴ生まれ
  • 父親はカナダ生まれのイライアス・ディズニー
  • 母親はドイツ人とイギリス人の血を引くフローラ・コール
  • 職業はアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、声優など
  • ミッキーマウスなどの世界的な人気キャラクターの生みの親
  • ディズニーリゾート創設者

ここからはできるだけ簡単にウォルト・ディズニーの生涯を振り返ってみましょう。

貧しく過酷だった幼少期

ウォルト・ディズニー(ウォルター・イライアス・ディズニー)は1901年12月5日にシカゴで誕生しました。

父の仕事がうまく行かずに貧しい幼少期を過ごすことになります。

兄たちの家出と新聞配達

ウォルトの父イライアスは農業などを営んでいましたがなかなか事業が成功しませんでした。

仕事がうまくいかないイライアスはいつも子どもたちに厳しくあたりウォルトの2人の兄は家出をしてしまったようです。

その影響もあって兄のロイとウォルトはイライアスが始めた新聞配達の仕事を長い間、無給で手伝わされることになりました。

1912年、兄のロイも家出

1912年には仲良しだった兄のロイも家出をしました。

ロイが家出をしたことでイライアスは更にウォルトへの要求が厳しくなります。

そんな中ウォルトは漫画が大好きで漫画を書いては同級生に見せていました。

この頃からウォルトは漫画家になることが夢になったようです。

青年期のウォルトは戦争に参加した

愛国心が強かったウォルトは年齢をごまかして友人と陸軍に志願しました。

年齢を1歳ごまかして陸軍へ入ろうとする

ウォルトが青年になる頃、世界は第一次世界大戦の真っ只中でした。

年齢を一つごまかして陸軍に入ろうとしたウォルトでしたが軍の説得により赤十字社の衛生兵として負傷した兵士の治療や搬送を担うことになりました。

同じ衛生兵の中にはマクドナルド創業者の姿も!

余談ですが同じ衛生兵の中にはマクドナルドの創業者であるレイ・クロックもいたそうです。

対戦集結後、ウォルトはパリに渡る

1918年12月、ウォルトはフランスのパリへ渡ります。

対戦終結後といってもまだまだ大変な状態は続いていました。

それに加えてパリは寒くウォルトは過酷な日々を過ごすことになり、その一年後に故郷であるアメリカへ帰国することになります。

帰国後、アニメーターとして活躍する

アメリカ帰国後、ウォルトはアニメーターを志して単身でカンザスシティーへいくこととなりました。

カンザスシティーはウォルトが青年期に過ごしたことがある場所で兄のロイが住んでいる場所でもありました。

ウォルトはカンザスシティーへ行くときに父イライアスにこう言いました。

「僕はね、漫画を描くアーティストになりたいんだ」

新聞に漫画を描く

ウォルトはひとまず新聞に漫画を描く仕事を始めますが、新人のウォルトにはまだま仕事の依頼は多くありませんでした。

仕事が多くないウォルトは日々の生活に困るほど苦しい時代を過ごすことになります。

ロイの紹介で広告会社の職に就く

ウォルトの生活を見かねたロイは1919年にぺスマン=ルービン・コマーシャル・アートスタジオという広告デザインの仕事を紹介します。

ウォルトはここで生涯の友人でありディズニーに深く関係する人物であるアブ・アイワークスと出会うことになります。

ウォルトとアブ・アイワークスはすぐに契約を打ち切られる

ぺスマン=ルービン・コマーシャル・アートスタジオとの契約は1919年の終わりごろには契約を打ち切られることとなりました。

翌年、ウォルトとアブ・アイワークスは二人で新しい事業を起こすことになります。

アイワークス・ディズニーを設立

ウォルトとアブ・アイワークスは「アイワークス・ディズニー」を設立しますがわずか1ヶ月で休業することになります。

わずか1ヶ月での休業の理由は、ウォルトがカンザスフィルム社にフルタイムでアニメーターとして採用されたためでした。

アニメーターへの思いが強くなる

ウォルトはカンザスフィルム社で働いたことをきっかけに漫画からアニメーターへ興味を持つようになりました。

これをきっかけにウォルトはアニメーション制作に没頭することになったようです。

「ラフ・オーグラム・スタジオ」を設立

ウォルトはアブ・アイワークスなどの数人の仲間を呼び寄せ「ラフ・オーグラム・スタジオ」というアニメ制作会社を設立しました。

しかし制作に没頭しすぎて資金のやりくりができずに会社は倒産することとなります。

ハリウッドでディズニー・ブラザーズ社の設立

お金のやりくりが大切と痛感させられたウォルトは銀行で勤務していた兄のロイを誘い「ディズニー・ブラザーズ社」を設立することになります。

このディズニー・ブラザーズ社が、のちの「ディズニー」の実質的な設立と言われています。

アリスコメディシリーズが人気となる

少女の子役とアニメーションを融合させた作品のアリスコメディシリーズが人気となり、ディズニー社の経営は軌道に乗り始めました。

このころ私生活では結婚、流産、実娘のダイアンの誕生、養女であるシャロンを迎え入れるなど公私ともに忙しい生活を送っていたようです。

オズワルド・ザ・ラッキーラビットの誕生

ウォルトは復興師であるチャールズ・B・ミンツの紹介でユニバーサル・ピクチャーズと繋がることができたウォルトは「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案します。

オズワルドシリーズは子どもたちの間で大人気となりディズニー社はアメリカ屈指のアニメ制作会社に成長しました。

アニメーターの引き抜きとオズワルドの権利放棄

事業はうまく進んでいるように見えましたが、ユニバーサル・ピクチャーズとの交渉決裂、ミンツによるアニメーター引き抜き工作によってウォルトはアブ・アイワークス以外のほとんどのアニメーターとオズワルドを含む作品を放棄することとなりました。

ウォルトはこのとき、ほとんどのものを失いました。

しかしウォルトは諦めませんでした。

そして誕生したのがミッキーマウスです。

ミッキーマウスの誕生とテーマパークの建設

オズワルドとアニメーターの引き抜きにより倒産寸前へ

ディズニーブラザーズ社はアニメーターの引き抜きとオズワルドを失ったことで倒産寸前まで追いやられました。

しかしそこでウォルトは諦めずオズワルドに変わる新しい自社キャラクターを作ることにしました。

挫折から誕生したミッキーマウス

オズワルドに変わるディズニーブラザーズ社のキャラクターはオズワルドの敵役として登場していたネズミを使うことになりました。

そのネズミのキャラクターはアブ・アイワークスがスケッチを作成しオズワルドそっくりのキャラクターになりました。

ちなみに飼っていたネズミがモデルというのは権利問題をクリアするために後付された設定と言われています。

ミッキーマウスの名前はモーティマーだったかもしれない

実はミッキーマウスは当初、モーティマーマウスと言う名前にされる予定でした。

妻リリアンの猛反対で「ミッキーマウス」に決定

名前をモーティマーマウスにする予定だったウォルトですが、妻であるリリアンは猛反対したそうです。

理由としては、モーティマーという言葉が「悔しがる・恥をかく」の動詞である「モーティファイ」に発音が近かったからだそうです。

のちにモーティマーはミッキーのライバルとして登場

ディズニーファンならご存じの方も多いと思いますが、モーティマーマウスはのちにミッキーのライバルキャラクターとして登場することになります。

初期のミッキーとミニーの声はウォルト自身が吹き込んだ

ミッキーマウスの成功で再びディズニーブラザーズ社は軌道に乗り始めます。

ミッキーマウス登場の第3作である「蒸気船ウィリー」ではミッキーマウスやミニーマウスの声をウォルト自身が吹き込んだことでも有名です。

ディズニーリゾート建設とウォルトの死

アニメーションの制作で軌道に乗ったディズニー社とウォルトはテーマパークの建設事業を進めることになります。

大人も楽しめるテーマパークを作りたい

ウォルトは娘たちを連れて遊園地に行ったときに手持ち無沙汰でベンチに座る親の姿を見て、「大人も楽しめるテーマパークを作りたい」と思ったと言われています。

他にも趣味の鉄道模型を使ったテーマパークを作りたいとも言われています。

テーマパーク建設のためにテレビ番組をスタート

ウォルトはテーマパーク建設費用を稼ぐために、そしてテーマパーク建設の支持を得るために「ディズニーランド」という番組をスタートさせます。

この「ディズニーランド」という番組は大好評となり、形を変えながら2008年までの54年間に渡って放送され続けることになりました。

1955年7月17日ディズニーランドが正式にオープン

ディズニーランドはテレビ番組の影響もあり大成功を収めることとなりました。

実はディズニー社とウォルトはこのディズニーランドの成功までは決して金銭的な余裕があったわけではないようです。

このディズニーランドの成功でようやくディズニー社は安定した運営が出来るようになったと言われています。

ディズニーランドのオープンでウォルトはスピーチをした

ウォルトはディズニーランドのオープン式典でこのようにスピーチをしました。

「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所であって欲しいと願っています。」

Walt Disney

この理念は今のディズニーの理念に引き継がれていますよね。

2つ目のテーマパークの建設

ディズニーランドで成功したウォルトは2つ目のテーマパーク検察を発表しました。

場所はフロリダです。

この2つのテーマパークはエプコットというパークを中心にディズニーランドやホテル、サファリパークなどを取り入れたディズニーワールドとして作られることとなりました。

ウォルトの死

ディズニーワールド建設中である1966年12月15日にウォルトは肺がんによる肺炎で亡くなることになります。

こうしてウォルト自身の生涯は閉じることとなります。

ディズニーの未来はまだまだ続く

ウォルトが亡くなってからもディズニーの成長は止まりませんでした。

こうして今もディズニーは僕らを楽しませ続けてくれています。

まとめ

ということで、ウォルト・ディズニーの名言10選と激動の人生について解説しました。

この記事ではまだまだ解説しきれていないウォルト・ディズニーの話がたくさんあります。

その話はまた別の機会に。

それでは今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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