東京ディズニーランド開業までの奇跡と歴史をわかりやすくまとめてみた【実は静岡に造られる可能性もあった】

東京ディズニーランド開業までの奇跡と歴史をわかりやすくまとめてみた【実は静岡に造られる可能性もあった】

モヨ
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ようこそタワテラ1928号室へ!部屋の住人モヨ(@tot_r1928)でーす!

今回は東京ディズニーランドが開業するまでにどんなお話があったのか。どんな経緯で浦安に東京ディズニーランドができたのかを紹介するよ。

ディズニーランドの歴史に興味がある人には参考になると思うよ。

この記事を読むとわかること

東京ディズニーランド開業までの歴史

東京ディズニーランドとオリエンタルランドの関係性について

なぜ東京ディズニーランドは千葉の浦安に作られることになったのか

東京ディズニーランドの完成にはある男の活躍が欠かせない話

モヨはディズニーの魅力に魅了されたディズニーマニアになりたい偶像です。ディズニーのことをもっともっと知りたくて日々新しい情報を本や雑誌、インターネットなどから情報収集をしています。
そんなモヨがディズニー好きのみんなに情報を共有するのがタワテラ1928号室です。

ゲストさんへの前置きメッセージ

今回は東京ディズニーランドが開業するに至った経緯をできるだけわかりやすく解説します。東京ディズニーランドにはよく行くけど何で千葉の浦安にあるのか知らない人、もっともっと東京ディズニーランドについて知りたい人には参考になる内容になっていると思います。

この記事の結論

  • 東京ディズニーランドはオリエンタルランドの二代目社長である高橋政知氏の尽力によって開業できた
  • 浦安に決定された理由は、首都圏にあり人の流れもスムーズだと判断されたから
  • 東京ディズニーリゾートは今でも唯一のライセンス形式で運営されているディズニーリゾート
この本を読むともっと東京ディズニーランドが好きになると思います

ディズニーランド好きなら一度は読んでおいて損はないと思います。
僕はこの本を読んでもっとディズニーランドが好きになりました。

読みたい項目をクリックしてね

東京ディズニーランド開業に欠かせないオリエンタルランドとは

東京ディズニーランド開業に欠かせないオリエンタルランドとは

東京ディズニーランドの歴史に欠かせないのがオリエンタルランドの存在です。
オリエンタルランドがなければ今の東京ディズニーランドはなかったでしょう。

という事でまずはオリエンタルランドについて簡単に紹介していきます。

  • オリエンタルランドの設立
  • オリエンタルランドはもともとディズニーランドを作る予定ではなかった
  • オリエンタルランド二代目社長の高橋政知氏が浦安の漁業活動の土地を交渉して譲渡される
  • 漁業関係者に対する補償をするためには「ディズニーランドの誘致」が必要という結論に至った

こんな感じで進めますね。

オリエンタルランドの設立

オリエンタルランドは1960年に設立された会社です。
京成電鉄と三井不動産の出資によって設立されました。

オリエンタルランド設立の目的は千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地や住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設による地域の発展でした。

オリエンタルランドはもともとディズニーランドを作る予定ではなかった

つまりもともとオリエンタルランドという会社はディズニーランドを誘致するために設立された会社ではなかったということです。

千葉県浦安の発展という目的はありましたがディズニーランドとは別のオリジナル施設の建設を予定していたそうです。

オリエンタルランド二代目社長の高橋政知氏が浦安の漁業活動の土地を交渉して譲渡される

千葉県浦安の発展のために必要な土地は当時、漁業活動の土地でした。
そんな土地の権利を得るためにオリエンタルランド二代目社長の高橋政知氏は漁業関係者に熱心な交渉をして約半年ほどで権利を託されることになりました。

交渉には数年かかると思われていましたが、高橋政知氏の熱心な交渉の結果わずか半年で権利を得ることができました。

漁業関係者に対する補償をするためには「ディズニーランドの誘致」が必要という結論に至った

漁業権を放棄してくれた漁業関係者に対する補償のためには多くの雇用を生み出すことなどが必要になりました。

そこでその条件を満たすことができる施設として挙がったのが「ディズニーランドを誘致する」という結論だったのです。

ディズニーランド誘致には三菱グループという最大のライバルがいた

ディズニーランド誘致には三菱グループという最大のライバルがいた

ディズニーランド誘致に動いたオリエンタルランドには大きなライバルがいました。
それが三菱グループ。
オリエンタルランドの親会社は三井不動産なのでどちらも超大手の企業ですよね。

  • ディズニーランド誘致に動いた時、実はライバル会社も誘致に動いていた
  • 最終候補地は浦安と富士山の近くに絞られていた【でも実は早い段階で浦安一択だった】

ディズニーランド誘致に動いた時、実はライバル会社も誘致に動いていた

オリエンタルランドが千葉県浦安にディズニーランドを誘致しようとした時、すでに三菱グループも別の場所にディズニーランドの誘致に動いていました。

オリエンタルランドは千葉県浦安。三菱グループは静岡県の富士山の近くに候補地を提示していました。

最終候補地は浦安と富士山の近くに絞られていた【でも実は早い段階で浦安一択だった】

最終候補地はオリエンタルランドの千葉県浦安と三菱グループの富士山の近くに絞られました。
そして最終的にはオリエンタルランドが提示した千葉県浦安に決定したという流れです。

千葉県浦安に決定された主な理由はこちら。

  • 首都圏にあり人の流れが浦安のほうが優れている点
  • 三菱グループの提案の静岡はどうしても富士山が見えてしまう点

ディズニーランドの景観を考えても存在感が大きすぎる富士山はあまり好ましくなかったようです。

実際のところは早い段階で浦安一択に絞られていたそうですが、ディズニー社がオリエンタルランドから好条件を引き出すために最終判断を遅らせらとも言われています。

ディズニー社の金欠によりライセンス形式かつ悪条件が提示されていた

ディズニー社の金欠によりライセンス形式かつ悪条件が提示されていた

ディズニー社とオリエンタルランドの契約は締結されましたが条件が良いとは言えない内容でした。
その最も大きな理由はディズニー社にはお金がなかったからと言われています。

  • ディズニー社はエプコットセンター建設などでお金がなかった
  • オリエンタルランド側に出された条件はとても受け入れられるような条件ではなかった
  • 親会社の三井不動産は交渉打ち切りを決断!しかし高橋政知氏は独断で契約を締結!

ディズニー社はエプコットセンター建設などでお金がなかった

ディズニー社は日本にディズニーランドを建設したいと思っていました。
しかし実際はエプコットセンターの建設などで日本にディズニーランドを造る資金はありませんでした。

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そこでディズニー社がオリエンタルランド側に提示したのがライセンス契約でした。

ライセンス契約=出資はしないという宣言

ライセンス契約によってフランチャイズとして東京ディズニーランドを運営することでパーク建設費用の出資などはしないという契約内容でした。

ディズニー社が出資をしないということはすべてオリエンタルランド側が資金の調達をする必要があったということ。

つまりパーク建設にはかなりのリスクを伴ったと言えますね。

ちなみに今でもライセンス契約のディズニーパークは世界に1つだけ

現在では世界にたくさんのディズニーパークが建設されています。
しかしその中でもライセンス契約によりパーク運営は東京ディズニーリゾートだけなんです。

オリエンタルランド側に出された条件はとても受け入れられるような条件ではなかった

ライセンス契約以外にも長期に渡るロイヤリティーの支払いなどオリエンタルランド側からすれば圧倒的な悪条件を突きつけられた形になります。

こうすることでディズニー社側は海外でディズニーランドが成功するのかどうかを資金的リスクを負わずに確認することができます。

そしてもし成功すれば長期間のロイヤリティーも約束されるので圧倒的にディズニー社に有利な条件が提示されていました。

親会社の三井不動産は交渉打ち切りを決断!しかし高橋政知氏は独断で契約を締結!

この条件に対して親会社である三井不動産は交渉の打ち切りを決断していました。
しかしオリエンタルランドの二代目社長である高橋政知氏はその決断を無視して独断でディズニー社と契約を結んでしまいます。

一般的な感覚からすると「なんてことをしたんだ!」ってなりますよね。

でもこの高橋政知氏の決断があったからこそ今の東京ディズニーランドがあるので感謝しても感謝しきれない決断ですよね。

諦めなかった高橋政知氏の尽力により無事に東京ディズニーランドが開業した

諦めなかった高橋政知氏の尽力により無事に東京ディズニーランドが開業した

ほとんどの人が諦めかけた千葉県浦安の東京ディズニーランド計画。
しかし高橋政知氏が諦めなかったことで東京ディズニーランドの計画は進み続けることになります。

  • 「東京ディズニーランドの建設および運営に関する契約(基本契約)」が締結
  • 予算1000億円の予定が最終的には1800億円の費用が必要となった
  • 幹部9名を本場ディズニーランドに研修へ送る【その後も150名ほどの研修員を派遣】
  • 「東京ディズニーランド雇用センター」を開設し、3000名規模パートを募集するが・・・
  • 1983年4月15日、東京ディズニーランドが無事開園を迎える事ができた

「東京ディズニーランドの建設および運営に関する契約(基本契約)」が締結

1979年4月「東京ディズニーランドの建設および運営に関する契約(基本契約)」が締結されました。
そして翌1980年1月からはアメリカのディズニーランドに9名の幹部社員が派遣されることになります。

この9名の派遣社員が受けた研修こそが今の東京ディズニーランドの夢と幸せな空間の基本とも言えます。

ちなみにこの研修は約1年にもおよんだそうです。

その後も150名ほどの研修員が派遣された

最初の9人に続くかたちで最終的には150名ほどの研修員がアメリカのディズニーランドに派遣されました。

予算1000億円の予定が最終的には1800億円の費用が必要となった

1980年11月28日、オリエンタルランドは千葉県から東京ディズニーランド建設実施計画」の認可を受け、12月3日には東京ディズニーランド着工式が執り行われました。
そして1981年1月から本格的に東京ディズニーランドの建設工事が開始されました。

本来の予算は1000億円でしたが妥協を許さない高橋政知氏の号令により最終的には1800億円もの総事業費になったそうです。

それがあったからこそ今でも色褪せないパークがあるということですね。

「東京ディズニーランド雇用センター」を開設し、3000名規模パートを募集するが・・・

東京ディズニーランドの工事と並行してオリエンタルランドは「東京ディズニーランド雇用センター」を開設しました。
3000名規模のパートタイマーとアルバイトを募集しましたが定員に達することはなかったそうです。

理由は大規模過ぎた事、舞浜までの通勤手段が少なかったことが挙げられます。

当時はまだ舞浜駅もなかったので通勤が難しかったんですね。

ちなみに舞浜駅ができたのは1988年1月なので東京ディズニーランドができてから5年後のことになります。

1983年4月15日、東京ディズニーランドが無事開園を迎える事ができた

着工から着々と準備が進められて、ついに1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園を迎えました。
この日から今まで、東京ディズニーランドは常に進化し続けています。

そしてこれからももっともっと僕たちゲストを楽しませてくれるはず。
今後の東京ディズニーランドの進化にも期待ですね。

東京ディズニーランド開業までの歴史のまとめと参考文献の紹介

東京ディズニーランド開業までの歴史のまとめと参考文献の紹介

という事で東京ディズニーランド開業までの歴史をできるだけ簡潔にまとめてみました。
東京ディズニーランドの開業には高橋政知氏という一人の男の物語がギュッと詰まっていると感じさせられる歴史がありますよね。

ちなみに東京ディズニーランド開業に大きく貢献した高橋政知氏の名前はワールドバザール内にも描かれていることを知っていますか?

写真

ワールドバザールを歩くときにはぜひ探してみてくださいね。

東京ディズニーランド開業までの歴史のまとめ

最後に簡単にまとめておきます。

  • オリエンタルランドがあったからこそ今の東京ディズニーランドがある
  • オリエンタルランド二代目社長の高橋政知氏が頑張ってくれたからこそ千葉県浦安に東京ディズニーランドができた
  • 東京ディズニーランドは世界で唯一のライセンス契約のディズニーパーク

この記事を作成するにあたって参考にした文献等

この記事は以下の文献等を参考にしています。

文献1:オリエンタルランドのHP

この記事はオリエンタルランドのHPで紹介されている歴史等を参考にしています。

» オリエンタルランドについて

文献2:「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日

個人的にこの本はかなりオススメです。
今の東京ディズニーリゾートがある奇跡などが詰まっている内容になっています。

おそらくほとんどのディズニー好きな人は一度は読んだことがあるはず。

という事で今回は以上です。
今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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